千と千尋の神隠しのラストでの時間経過は何日それとも何年?車のホコリに違和感が!

2001年公開の「千と千尋の神隠し」はスタジオジブリの作品の中で最も興行収入が多い作品で300憶円を超えています。

神様や物の怪、魔法使いといった不思議なキャラクターがたくさん出てきて、子供から大人まで楽しめる作品になっています。

そんな不思議な世界に迷い込んだのは千尋とその両親の3人。新しい街に引っ越してきたところからはじまります。

しかし、この不思議な世界で過ごした彼らが帰るころには、道が草だらけになっていました。

今回は、いったいどのくらい時間が経過していたのかについて考察していきたいと思います。ネタバレを含みますのでご注意下さい。

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千と千尋の神隠しのラストでの時間経過は何日?それとも何年?いろいろな説を考察!

説1:3泊4日だったという説(作中で表現された日数から推測)

「千と千尋の神隠し」をみていると、単純に映画に表現された日にちだけ計算すると3泊4日になります。

これを簡潔にまとめると以下のようになります。

 

(1日目)現実世界から、湯屋のある世界に紛れ込んでしまう。その中で、生きていくために湯屋にいる湯婆婆と契約する。

(2日目)千尋が湯屋で働き始める。くされ神がやってきて、千尋の活躍で河の神と判明し、接待を行う。

(3日目)ハクが銭婆の魔法と戦い、瀕死の重傷を負う。カオナシが暴走するが、千尋がその暴走を止める。千尋、カオナシらと銭婆のところへ行く。

(4日目)ハクの名前を思い出させる。湯婆婆から豚の中から両親を探せと言われ、いないことを当てる。両親を助け出して、現実世界へ戻る。

 

ただ映画では、トピック的な日を取り上げているだけなのかもしれませんね。

特に、脱出した際の車のほこりなどを見ると4日という感じではありません。

説2:1週間~1か月だったという説(湯屋でのセリフや、戻ってきた時の車周辺の様子などから推測)

いくつかのセリフから3泊4日説よりももう少しながいことが推察されます。

例えば、千尋が湯屋で働き始めて、先輩から「千は、今日から大湯番だ」と言われるシーン。

「今日から」というセリフは、その数日前から働いていて仕事に習熟したから「大湯番」を任せるぞ、というセリフです。

このように考えると、1週間から数週間は下働きをして「大湯番」になったと考えるのが自然です。

また、現実世界に千尋たちが戻ってきたときの車のまわりの草木の成長具合を見ると、成長の早い雨期だとしても、1か月くらいはたっていないとあのように生い茂らないでしょう。

説3:1か月以上だったという説(潮の回数から推測)

湯屋の世界の海では、小潮を2回と大潮を1回経験しています。

これは、1か月半以上経験していると考えるのが通常です。

月の満ち欠けはさすがに数日では大きく変わりませんので、1か月単位の時間が経過していると考えることもできます。

 

ただし、現実世界に戻った時に自動車のエンジンがかかりました。

これは、自動車のバッテリーがあがっていないという証拠です。自動車のバッテリーは1年も放置するとあがります。

そのように考えると、自動車の放置した時間は半年程度が限界かもしれません。

ちなみに、千尋の両親が乗っている車はアウディA4(クワトロ)という車種です。

説4:数年経っているという説(ファンタジー的な考察)

そもそも、神々の世界には時間の概念が存在しません100年が数日だったというのはよく聞く話です。

浦島太郎の話も竜宮城はいわゆる神々の世界と考えることができるでしょう。

そこで浦島太郎は、実は数十年を過ごしています。

しかし、それは現実世界で数十年なのです。竜宮城では、せいぜい数週間しかたっていないのです。

だから伝説としては、おみやげの玉手箱を開けると浦島太郎はお爺さんになっています。

これは、竜宮城と現実世界の時間のギャップを埋めて、現実世界の歴史にひずみを作らないための乙姫様ら神々の知恵だったのです。

 

これと同じことが、湯屋の世界でも起こったと考える説です。

湯屋の中で過ごした時間は、現実世界ではさらに長い時間がたっているのです。

自動車のバッテリーの考察もあり、1年以上はありえないという説も、神々の力により現実世界とのつじつまあわせのためにバッテリーの劣化が防がれていた可能性も否定はできません。

神々により、現実世界の中でも時間の影響をうけないもの(バッテリー)、時間の影響をうけるもの(草木)が分けられていた可能性もあります。

世界の質量(惑星の大きさ)や世界の速度(光の速度に近づくほど時間の経過は遅い)によってそれらの時間経過が変わるという相対性理論により理論的な説明がつく可能性もあります。

まとめ

「千と千尋の神隠し」における時間の経過には諸説ありますが、最後の自動車が草木に覆われているシーンを見ると、数か月~数年経過したのかな、と考えるのが普通のような気がしますが、湯屋の世界での時間は、そんなに長い月日がたっていないような気もします。

現実世界と湯屋の世界の間には時空のねじれのようなホールが存在しているのだと考えるのが自然な気がします。

ただ、宮崎駿監督は、「千と千尋の神隠し」を合理的な作品には仕上げていません。

こうなったのは、これがあったからといった、起承転結的な作品にはしたくなかったといっています。

だから、あらゆる場面が視聴者の想像力にゆだねられているとも言えます。

そういう、想像を膨らませるような作品が「千と千尋の神隠し」なのです。

理論的に考えるのもありですし、魔法的・神的な力を信じるのもありです。

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