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【千と千尋の神隠し】最期のシーンで千尋が豚の集団に両親がいないと分かった4つの理由!

2020 9/03
【千と千尋の神隠し】最期のシーンで千尋が豚の集団に両親がいないと分かった4つの理由!

2001年公開の「千と千尋の神隠し」は興行収入300憶円を超えておりいまだに日本のアニメ映画の記録となっています。

スタジオジブリの作品の中では「千と千尋の神隠し」以降の映画は、ストーリーの中で必然性や合理性を無視したものが多くなっており、観客が自ら想像したり考察したりするものとなっています。

「千と千尋の神隠し」においても、そういった部分は多くあります。

そのひとつに、最後に千尋が湯婆婆に捕らわれた両親を助け出すために豚小屋に両親を探しに行くシーンにおいても、なぜ、両親がそこにいないことを言い当てたのか理由については一切のべられていません。

今回は、言い当てられた理由について考察していきたいと思います。

目次(各項目をタップすると、その項目に飛びます。)

千尋が豚の集団に両親がいないと分かった4つの理由!

理由その1.銭婆にもらった髪留めに秘められた魔力

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宮崎駿監督は、千尋とカオナシと坊に現代の若者の特徴を反映したといわれています。

それぞれ、無気力で受け身な若者、甘やかされて自分のまわり以外の世界を知らない若者、思い通りにならないことに対して憤る若者として表現されています。

銭婆は、達観した大人の象徴として登場しており、若者3人に対する成長に大きな役割を果たしています。

銭婆は、千尋の身を案じ、髪留めに魔力を込めて、現実の世界へ帰れるように手助けしています。

最後の橋を渡るときも、絶対に振り返ってはいけないという約束を忘れそうになり、振り返りそうになったとき、この髪留めが光って、千尋が振り返ることを制止ししています。

豚たちを見た時にその中に両親がいないことを見抜けたのにも、この髪留めの魔力が作用していたことが考えられます。

理屈はわからないけれど、銭婆の力が作用していたのです。

理由その2.千尋が湯屋の世界で成長して、見えないものを見分ける力が付いた

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宮崎駿監督は、千尋という10歳の女の子が世間の中に入っていき、修行をして、愛情や献身、知恵の重要性を学んで成長する物語であると語っています。

千尋は、湯婆婆という恐ろしい魔法使いに奪われた名前や両親を取り戻すべく、知恵や友情を使いながら成長していきます。

両親が豚に変えられてしまったのは、成長をあきらめた人間だったため、食われる側の人間と判断されたからなのです。

千尋は、成長し続け、その結果として、豚の中に両親がいないということを見抜く、生きる力を身に着けたのです。

理由その3.苦団子には、不思議な魔力が込められていた。

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湯屋に来た川の神を献身的にもてなした千尋は、川の神から苦団子をもらいました。

この団子にはものすごい魔力が秘められていたことがわかっています。

それは、銭婆の攻撃により瀕死の重傷を負ったハクにこの団子を食べさせると治癒したり、大暴れし、湯屋の従業員を飲み込んでいたカオナシに食べさせるとおとなしくなったり、安定の効果を発揮する団子だったのです。

 

千尋もこの苦団子をかじっています。ものすごく、苦い顔をしていました。

この時千尋が食べた苦団子の効果が、豚の中から両親を見分けるときにも働いたのです。

この団子の効果は即効性がある面と遅効性がある面、両方あるようです。

髪留めと同じように、勘というか、スピリチュアルな能力が高まるのでしょう。直観的に、自分の求める解が千尋のもとに降りてきたのです。

理由その4.人間に備わった能力、理屈ではない。

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人は時として超人的な能力を発揮することがあります。

ましてや、湯屋は神の世界、人間のそんな能力が高められていても不思議ではありません。直感というものです

赤ちゃんは、直感的に親を見極まます。それは、においであったり、声であったりもするのですが、赤ちゃんは、第六感的なものが研ぎ澄まされているのです。目や耳が未熟な分、そういうものが作用するのです。

千尋も豚たちを前にして、両親がいないことは、直感的にみわけたのです。

また、宮崎駿監督は、このことについて、理論的におかしいといって説明を求める人がいるけれど、理由なんてない、それが人生だ、と一蹴しています。

まとめ

豚がたくさんいる中で両親がいないと一瞬で見極めるシーンに、なんで?と思った視聴者もおおいのではないでしょうか。

色々な説はありますが、やはり合理的な理由を見つけるのは難しいですね。

ただ、宮崎駿監督は、古くから、こういう超人的な、たとえばカリオストロの城で壁を走ったりするシーンとかみたいに、アニメ映画ならではの演出を好む性格があります。

それで、あ、これはアニメ映画なんだと観客が自覚するシーンとなります。

アニメーション映画はリアルさと非現実世界のはざまを表現しているため、そういったシーンをうまく表現することがアニメらしさを表現するということなのかもしれません。

だから、この非合理的なシーンにあえて理由を求めることもできますが、宮崎駿監督が言われるように、人生ってそういうものだから、という風に見るのもこの映画のおもしろさです。

豚の中に両親を見出すシーンに人生を凝縮しているあたりも宮崎駿監督らしいですね。

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