「風立ちぬ」の菜穂子はかわいい?嫌い?モデルや年齢を紹介!病院がある山に帰った理由も!

映画「風立ちぬ」は実在する航空技術者の堀越二郎を主人公とした作品でありつつ、さらに堀辰雄の自伝的小説からも着想を得て作られました。

ヒロインである菜穂子は、堀辰雄の作品「風立ちぬ」に出てくる結核の少女をモデルにして描かれています。

今回は「風立ちぬ」の菜穂子について、「かわいい」「嫌い」といった感想をまとめ、そして可愛さの理由やモデルについて紹介していきます。

また、菜穂子が最後に病院がある山に帰った理由についても考察します。

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「風立つぬ」の菜穂子はかわいい?嫌い?

菜穂子に関して視聴者がどう思っているか調べてみた所、批判的な多くはあまりなく「かわいい」とか「美人」という意見が圧倒的に多かったです。

堀越二郎が「自分勝手」「ひどい」とか結構言われているのに対して対照的ですね。

作中での描写に関しても、仕事に熱中する堀越二郎を慕い続けるひたむきな女性として描かれているので、美しさだけでなくその健気さにも惹かれる人は多いようです。

菜穂子に対して批判的な意見としては「男にとって都合のいいヒロイン」という意見が見受けられました。

これもある意味、堀越二郎に対して批判的な意見の裏返しと言えるでしょう。

「自分のことに熱中する男性についていく女性」というのはやはり現代社会では受け入れがたいのでしょうね。

また、結核を患っているのに色々動いているのは不快に感じた人がいるようですね。

コロナ禍となってしまった現在においては特に、このような行動は好ましくないと思う人が多いでしょう。

風立ちぬは戦時中の若い二人の美しい恋を描いていますが、そのような美化を持ってしてもちょっと気になってしまう行動ですよね。

黒川夫人の「美しいところだけ好きな人に見てもらったのね」というセリフから分かるように、菜穂子は菜穂子でやや自分勝手なところもあるようです。

菜穂子がかわいいと言われる理由を考察!モデルや年齢についても!

ジブリ映画の中でもヒロインの里見菜穂子ファンという方は多いようです。

そんな菜穂子の可愛さや魅力を紹介、考察したいと思います。

 

菜穂子がかわいいというのは、アニメのビジュアル的に誰もが認めるところかもしれません。

しかし、彼女の行動や心理を観察することによって、さらに菜穂子が可愛すぎることがわかってきます。

菜穂子がかわいい、と思われている理由を3点ほど考察してみたいと思います。

「菜穂子は、物知りである。」

普通の男子は、一般的に賢い女性を好みます。

菜穂子の賢さが分かるシーンとして、菜穂子が二郎とはじめて会った際に文学の一節を使っています。それは、「ルヴァン ス レーヴ」という「海辺の墓地」の一節です。

このような知性を垣間見せる女性に男性は惹かれてしまうものです。

 

「菜穂子は、一途である。」

菜穂子が二郎と初めて出会って9年後に軽井沢で再会しますが、そこで菜穂子が口にした言葉は「あなたはずっと王子様だった。」です。

このシチュエーションでこれを言われてくらっとこない男性はいませんよね。

 

「菜穂子は、弱さを隠さない。」

菜穂子は二郎に弱さも見せ、二郎を信じ切っています。

恋人同士だとよいところだけを見てもらおうとしてしまいます。

しかし、人間には弱さや悪い部分が必ずあって、それを見せることによって親密感や信頼感が生まれます。

素直で隠し事のない女性を男性は、かわいいと思いますよね。

 

そして、菜穂子のモデルとなった人物は、堀辰雄の実際の婚約者で矢野綾子といいます。

矢野綾子は1911年年に生まれ、堀辰雄とは1933年に軽井沢で出会いました。矢野綾子も堀辰雄も結核だったので療養先で出会ったのです。

そして療養先に移った矢野綾子と堀辰雄は、1934年に婚約しました。

しかしやはりアニメと同じ様に、矢野綾子は1935年に肺結核のため亡くなってしまいます。

そして、1937年に堀辰雄は矢野絢子との療養生活をモデルにした「風立ちぬ」を発表しました。

この小説の大まかな内容としてはアニメと同じで、結核に冒されている少女と婚約し、仕事に励みながら少女の面倒を見るというものです。

戦闘機制作に情熱をかける男性である堀越二郎だけでなく、戦時中に儚い恋をした男性である堀辰雄をミックスして出来上がったのが、宮崎駿監督の「風立ちぬ」というわけなんですね。

菜穂子はなぜ病院のある山に帰ったのか

映画の終盤で、菜穂子は黒川家の離れを抜け出して、山へ帰っていきます。

この際黒川夫人は、「追ってはいけません。」「美しいところだけを好きな人にみてもらったのね」ということを言います。

菜穂子は、結核がひどくなって治癒することはなく死期が近いことをを悟り、二郎のもとへやってきています。

そして最後に美しい姿を見せて去ることで、弱っていく美しくない自分の姿は二郎には見せずに亡くなろうと思ったのです。

 

とはいえ、本当に二郎のことを愛していれば、死の間際まで、愛する人のそばにいたいと思うはずです。

実際には、菜穂子が山に帰ったのは、映画上の演出効果を狙ったものとも考えられます。

菜穂子が二郎のそばで死んでいく場合、菜穂子の死を描かなければならなくなります。

しかし菜穂子を山へ行かせることにより「菜穂子はどうなったのか?おそらく死んだのだろう。」という間接描写になります。

そしてこの描写が最大の効果を発揮するのが、菜穂子の最後の「生きて」という言葉なのです。菜穂子は死の世界から二郎に呼びかけているのですね。

まとめ

菜穂子は、外見もかわいいのですが、内面のかわいさを知るともっと好きになってしまいます。

菜穂子は博識で、一途で、そして、弱さを見せずに好きな相手を信頼します。このようなところを見ると宮崎監督の愛する女性像というのも見えてくるのかもしれません。

また、最後に死期を悟った菜穂子が山へ帰っていくのは、二郎に自分の美しくない姿を見せたくない、ということが理由なのです。

しかし製作者側にも理由があって、菜穂子の死ぬ間際の姿を描かずに間接的に死んだことを視聴者に想像させ、最後の「生きて」という言葉を引き立たせたかったのです。

このような観点から「風立ちぬ」、菜穂子を見てみると新しい発見があるかもしれません。

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