Fukushima50のあらすしネタバレ結末!ラストのテロップとは?作業員のその後も調査

「Fukushima50」(フクシマフィフティ)は、角川大映スタジオが制作会社、松竹とKADOKAWAが配給で2020年3月6日に公開された日本映画です。

門田隆将さんのノンフィクション「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」を原作としています。

東日本大震災における福島第一原子力発電所事故発生時に現場対応を行った約50名の作業員「フクシマ50」の激闘を描いた作品とし話題になりました。

主演は、佐藤浩市と渡辺謙で、日本を代表する俳優が多く出演しています。

今回は、Fukushima50のあらすじネタバレ結末、ラストのテロップ、そして作業員のその後についても調査します。

Fukushima50のあらすじネタバレ結末

1 巨大津波の福島原発直撃

2011年3月11日14時46分、東北地方太平洋地震が発生しました。

最大震度7、マグニチュード9.0の巨大地震は、東北地方太平洋側に想像を絶する大津波を発生させました。

福島県の太平洋沿岸に立地している福島第一原子力発電所もこの巨大津波の直撃を免れることはなく、甚大な被害を受けます。

稼働中の原子炉においては、外部電源を失い、一時的に非常用電源へと電力供給を切り替えます。

 

しかし、津波の衝撃により非常用電源も喪失することとなってしまいました。

電源を利用して原子炉内を冷却しているため、冷却機能を喪失した原子炉内は危機的な状況となります。

このため、原子炉内において制御棒を挿入することにより原子炉の稼働を止めることにします。

しかし原子炉内では、崩壊熱が発生し続けており炉内の温度は上昇を続けてしまいます。

核燃料が自らの熱で溶けだし、炉心融解(メルトダウン)が起こり始めました。

このため、原子炉建屋内部の圧力は急激に上昇することとなり、原子炉建屋の破壊の恐れが出てきてしまいました。

2 ベント作戦

原子炉内の圧力を抜くためには、ベント作業を行わなければならないのですが、ベントをすると建屋内の蒸気が放出され、同時に放射性物質が外に放出されてしまします。

しかし、このままメルトダウンにより原子炉が爆発すれば、東日本が壊滅状態になってしまいます。

このため、原子炉から10Km圏内の住民を避難させたうえでベントを行うという決断をすることになります。

建屋内は電源を喪失しており、高い放射能度の建屋内に人間が入り、人力でベントを行わなければなりません。

 

非常棟で対策本部長となっていた吉田所長は、1,2号機の当直長であった伊崎利夫らを建屋内で作業させベントさせることを決断します。

伊崎らは、決死の覚悟で建屋内に入り未曽有のベント作業に挑みます。

しかし、線量は20ミリシーベルトを超え、高温で靴が溶けるほどでした。

そして、より危険度の高いAO弁に近づく作業員は90ミリシーベルトという限界値でした。

 

その一方で、東京の首相官邸、原子力規制委員会、電力会社で対策を練り現場の吉田所長へ指示を出してきますが、危機感の差に吉田所長はいら立ちを爆発させます。

現場がベントを進めようと必死な状況の中、首相自身が現場の視察にやってきますが、吉田所長以下、首相の対応に追われ、さらに苛立ちます。

3 水素爆発に混乱する中央

このような中、原子炉1号機は水素爆発を起こし、多くの負傷者が発生します。

吉田所長は、独断により冷却作業を進めていきます。

水素爆発により非常用に接続していた電源ケーブルも破損してしまい、注水による冷却も困難なものとなります。

電力会社本社からは、注水作業も停止するよう指示されましたが、吉田は、従うように見せかけて、海水の注水を続けていました。

 

このような中、3号機においても爆発が発生します。

1,3号機は爆発により建屋に開いた穴で圧力が下がったという一面もありましたが、放出する放射性物質についての懸念はありました。

2号機も一度下がっていた圧力が再上昇します。設計圧力を超えていました。

2号機が爆発すれば、チェルノブイリ原発の10倍の被害が出ると言われます。

 

本社からは「いいから早くやれ!」という感情的な指示が来るのみで、具体的な指示はなく、吉田はいら立ちを隠しません。

首相も「撤退などありえない!逃げても逃げきれないぞ!」と激昂します。

それに対し吉田は、カメラ越しにズボンを下ろし、尻を突き出します。

吉田は、地域の協力者らに感謝を述べ、安全な場所に避難させ、所員での対応に切り替えます。

4 Fukushima50の結末

このような中、2号機の圧力制御室で問題が発生し、極めて危険な状況になります。

吉田は所員の中でさらに最低限必要な幹部や技術者だけを残し、所員に対しても「避難命令」を出すと、そこに残ったのは50名でした。

残った所員は、備蓄食料を食べながら覚悟を決めて、家族らへ最後のメールを打つのでした。

2号機に対して、残った所員で作業が続けられ、また自衛隊ヘリによる放水も行われました。

 

2号機の圧力は下がり始めました。2号機建屋の側面パネルが落ちていたのです。これにより爆発の危険は回避されます。

伊崎らは、住民の避難所で家族と再会し、電力会社社員ということで複雑な気持ちもありましたが、住民らも温かく迎えてくれました。

2014年春、満開の桜の中、伊崎は2013年7月に食道がんで亡くなった吉田所長の手紙を読み、エンディングとなります。

ラストのテロップとは?

吉田所長は、震災の2年後に亡くなったのですが、その葬儀のあとで、あるテロップが流れます。

それは、「この夏(2020(映画公開の年))のオリンピックは、復興オリンピックとして福島から聖火リレーがスタートする。」というものでした。

Fukushima50の大惨事を見せられたあとに、同じ国家が大きく係るオリンピックを復興オリンピックとしていることについては、賛否両論があります。

そして、現実としてコロナ禍によりこの復興オリンピックが叶うかどうかもわからなくなってしまいました。

この映画の最後のテロップは、図らずも復興はまだなっていないし、日本人はFukushimaから何も学んでない、という10年越しの皮肉のようにも思えてきます。

作業員のその後について

世界最悪レベルの事故となった福島第一原発ですが、事故直後には高いレベルの放射線量下でFukushima50の作業員らは作業にあたっています。

国としても、その後の作業員の健康調査を行ってきています。しかし、これらの調査に応じていない作業員は半数を超えています。

そういった作業員の中には、建屋の中で汚染水につかり被ばく100ミリシーベルトを超え、搬送された人もいました。

調査を受け、それが自分の健康を守ってくれるものだと思えない作業員も多くいたのです。

身体に影響が出ても放射線の異常が認められないと、保証も受けられない、治療もしてもらえない、作業にも出られなくなる。

そんなことから、Fukushima50では、ヒーローのように扱われた人々は、今でも健康被害と戦っているのです。

まとめ

Fukushima50は、2011年の東日本大震災時に起きた福島第一原発事故に立ち向かった吉田所長以下約50名の奮闘を描いています。

今年2021年は、ちょうど東日本大震災から10年の節目であり、日本を命がけで守った人々の活躍を見ることは大きな意義があります。

首相以下、東電も含めて国の原発に対する過失は、看過することのできないものであることがよくわかります。

未曽有の大震災であるからやむを得ない事故であったとはいいきれないことを知るにはよい映画です。

東京五輪についてラストでは触れていますが、日本国の愚かしい事業が原発~コロナ禍の五輪で蘇ってくるような暗示は偶然にしてはできすぎています。

最後までお読み頂きありがとうございました。

Fukushima50のロケ地などはこちら

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